11.07.2025

真理の道を走る

私は真実の道を選び取り、あなたのさばきを私の前に置きました。( 119:30)

 主よ。あなたのおきての道を私に教えてください。そうすれば、私はそれを終わりまで守りましょう。( 119:33)

真実(真理)の道を歩むかどうかは毎日の選択ですね。クリスチャンだから自然に選ぶわけではない。パウロと同じように毎日は肉と霊の戦いがあるからです。家族や職場等で突然の試練が来るとき、思いもしなかった残念な出来事があるとき、確かに私たちにはそれを止める力がなく、その試練を避けたくてもどうしようもない時があります。(被害者側にいる場合)しかし、時には、その突然の試練が来たのは、実は私たちに責任がある場合があります。日々の生活の中で真理の道を選ばなかった結果として、それが積み重ねての突然の試練です。「これは避けられたのに。。。」「あの時は○○すればよかったのに」と反省しながらも、神様の赦しをいただき、今度こそ真理の道からずれないように、それを終わりまで守る決心ができます。遅くありません。

11.06.2025

日々の御言葉

 あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。(詩 119:11)

私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。(詩 119:18)

どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています。(詩 119:97)

私は長年、思ってきたこと、言ってきたことがあります。。。。「子どもの頃はよく聖句を暗記していたが、大人になってから。。。無理だ。」これは考えてみれば、悪魔からの嘘ではないでしょうか?私たちの考え方と行動はどれだけ悪魔の嘘を信じて行動しているのか?全地を創造した、すべてを支配している私たちの神様は、私たちの脳もお造りなりました。御言葉を覚えるというのは、本当に大切なことです。朝、神様とひと時を過ごしたとしても、長い一日が待ってます。。。そして、御言葉を知っているはずなのに、自分たちの疲れや感情の変化、その日の出来事次第で自分たちの考えは一日何回もコロコロと変わっていきます。そこで、聖書的ではない考え方に誘惑されるとき、聖句を思い出す必要があります。

イエス様も40日間。。。荒野で試練にあったとき、御言葉で反応しました。

実は。。。。私が日本に帰国した日からベッキーの誕生日までちょうど40日です!40日は聖書の中でよく出てきますが。。。。ほぼ毎回「試練」と関係している数字です。

私も40日間の荒野の試練(家族がアメリカ、今一人で日本生活)を御言葉の力で乗り越えたい!成長したい!

今日の一日、神様の生きている、人の心を変える力が御言葉とともに、一日を過ごしましょう。


皆さんのために心からお祈りしています。

11.05.2025

日々の御言葉

 あなたを恐れる人々は 私を見て喜ぶでしょう。私がみことばを待ち望んでいるからです。( 詩篇 119:74. 

 今までのマイケルウインターズが人に近づいて来たとき、相手はどういう反応だったのでしょうか?逃げる、知らん顔する、それとも私のその日の気分次第、私の顔色を測ってからその反応を決める?

皆さんは神様とのひとときを 起きる時に過ごすのか夜に過ごすのか 特に これじゃないといけないというのはありません。

ただ自分の場合はイエス様と 時間を過ごした朝とそうではない日、 全く別人になります。

この74節は素晴らしいと思いました。私たちは神の御言葉と神様と親しい関係を保っているならば 他人が近づいた時 また私たちが他人に近づこうとする時、相手も喜ぶのではないでしょうか。

11.04.2025

日々の御言葉 

 苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。それにより 私はあなたのおきてを学びました。あなたの御口のみおしえは 私にとって幾千もの金銀にまさります。  詩篇 119:71-72 

苦しみというのは本来 嬉しいものではないですが 私にとっては御言葉をより深くより親しくなる きっかけともなりました。

皆さんの今日の1日の祝福を心からお祈りしています

11.03.2025

日々の御言葉 

 詩篇119:125節 135節 私はあなたのしもべです。私に悟りを授けてください そうすれば私はあなたのさとしを知るでしょう。御顔をあなたのしもべの上に照り輝かし、あなたのおきてを教えてください。

しもべというのはへりくだって自分の悟りや 自分の力を頼らずに主人に全て 委ねていくということですよね。そうすることによって 神の栄光のために生きることができますし、また私たちの上に神様の豊かな祝福 だけではなく必要な知恵も注がれるのではないでしょうか。

9.22.2025

ずるい!

「ずるい!」2005年から2022年まで、英会話教室を教会で経営していました。子どもの口から一番多く聞いてきた言葉です。ゲーム負ける時によく使われました。毎回思って、時々子どもに言いました。。。。「何かずるい!負けただけでしょう。」

確かに、子どもが「ずるい」 の意味を正しく使ってなかったが、今の大人も同じ考え方ではないでしょうか?国の給付金の配り方や税金関係、または、人間関係のような様々な場面で自分が有利になるなら「公平」そして自分が不利になるなら、「不公平、ずるい」と思うんですよ!自分が常に被害者と思って生きるのは疲れませんか?いろんなことを他人のせいにしないで、責任感のある人になりませんか?

今、日曜日の17:00に、ヨセフについて学んでいます。昨日は4回目でした。3500年以上前に生きていたヨセフの生涯を聖書から学ぶことは2025年にもあなたの人生のための大きな価値があります。ヨセフは悪いことをしていないのに、兄弟に裏切られ、そして、エジプトに連れていかれました。その後も、また、何も悪いことしてないのに、牢屋に入れられました。次々と正しい選択をしたにも関わらず、嫌な目にあいました。しかし、それでも神様を信じ続けたのです。

世の中で一番ずるいことを行っているの誰でしょうか?あなたですよ。

神様が天地万物を創造し、あなたもお造りになりました。なのに、あなたはその神様を信じず、知ろうともせず、自分勝手な道を生きているのです。ずるい!


8.24.2025

滑走路からずれるな!

 (Ethan Wintersより)(現在、アメリカでパイロットになるため訓練中)

「ただし、少しも疑わずに、信じて求めなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。」 ヤコブ16

 

今日も飛行訓練で着陸の練習をしてきました。今日は20キロほど離れている隣の町の飛行場へ飛んできました。航空学校があるベースの飛行場に帰ってくると、風が一時間前離陸した時に比べて、かなり酷くなっていました。遠方に雨雲も見えて、空港の気象観測システムによると、遠方に雷が観測されていました。滑走路の最終進入に入り、高度を徐々に下げていくと、横からいきなり吹いて来て、一旦収まったりと、繰り返すような強めの風が吹いていました。教官の手助けなしで、自分で着陸するようになってから、これほど強い風を経験したことがない僕はひたすら滑走路に一生懸命注目しました。少しでも他のところに目をずらすと、飛行機は風に吹かれて、滑走路へ安全に進入できなくなるからです。実は同じ滑走路に向かって着陸を目指していた前の飛行機は、滑走路の隣の草に着陸するかと思うほど、横風に吹かれていました。(その飛行機はギリギリセーフ滑走路に着陸できました。)

 

私たちがクリスチャン生活の中で直面する様々な試練の中でも、私たちは不信仰という風に吹かれやすいです。イエス様は福音書でよく弟子たちに「信仰の薄い者たち」という風に弟子たちの不信仰を指して言うことがありました。水の上を歩いたペテロもキリストから目を離すと、すぐに風に吹かれていた大波の中へ沈んでしまいました。

 

私たちは神様に何かの課題を祈り求める一方、同時に自分の知恵に頼ったり、神様の知恵を疑ってしまいやすいです。しかし、主に自分の試練を完全に委ねて、信仰を持って「惜しみなく与える」神様に知恵を祈り求めると、不信仰という風に吹かれなくなります。主は試練を通して私たちに知恵を与え、自分の御心を見せてくださいます。


「真生留」

キラキラネームが多くて漢字が読めないこの時代ですから、私も「自分の名前の漢字を勝手に選ぼう」と数年前に思いました。最初はラインのIDに使っていただけですが、最近は仕事関係や名刺などでも使うようになりました。その漢字を選んだ理由を説明します。 真 (ま)  生 (いけ)  留 (る...