先週の水曜日の朝に、ワイエット先生とマックで朝食をしていた時に起きたお話です。 私たちが帰ろうとした時に、小さい一つのポテトがテーブルの上に置いてあることを気付きました。 私はレストランで汚いテーブルに絶対座らないタイプですから、座る前になかったと思います。 ワイエット先生も座る前に置いてなかったと同意見です。 しかし、天井から落ちてきたわけでもないし、朝ご飯だったので、私たちが注文したものでもなかったのです。 僕が「不思議だな」とコメントしたら、ワイエット先生が、「天国からのマナに似てますね。」と言いました。
イスラエル人がエジプトから脱出したとき、次の40年間、荒野で生活しました。その間に、神様がイスラエル人のために、天からマナという食べ物を贈りました。 出エジプト16章に書いてあります。 一日の分のマナが朝起きた時に、地面にありました。 その日の分だけ集まり、次の日はまた、神様がマナを降らせました。
聖書の中に、神様が私の必要を満たしてくださると約束しています。 新約聖書に、イエスが私たちのためのいのちのパンであることがわかります。 ヨハネ6:35に書いてあります。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」
イエス様は何もないと思う所に、素晴らしい御業を成すことができます。 私たちは、イエス様を信じると、自分の力と知恵に頼ることをやめることが出来ます。そして、いのちのパンであるイエス様の手より、多くの祝福を得ることができます。 ポテトは実際、最初からそこに置いてあり、私たちが気付かなかっただけかもしれません。 あなたはすでに、神様から素晴らしい祝福をいただいていて、気づいていないだけではないでしょうか?
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