今月の学校と教会のテーマは:楽観的。 最近読んだ、記事がすごい良かったと思うので、みなさんに分かち合います。
砂漠のような状況の中で、コップに入った水を持っていたとしましょう。コップをぶつけてしまい、水がこぼれ、半分になりました。「半分になってしまった」と考えるのか、それとも、「まだ半分も残っている」と思うのか、皆様は、どのようにお考えでしょうか。日本人はは一般的に諸外国に比べると、「半分になってしまった」と考える人の割合が高いそうです。このような思考は、慎重であるという意味においては、大変優れていると思われますが、いつも物事を悲観的にとらえてしまう傾向があり、多くの可能性を否定しながら生きていることにならないでしょうか。私たちは、自分でも気がつかないうちに、今の状況を正しく評価することができないで、悪いと判断してしまったいるのではないでしょうか。そして、頭の中で、悲観的な未来を作り上げてしまっているのです。
最近、CEOという言葉をよく耳にします。ご存知のように最高経営責任者という意味で、大きな企業の指揮をとるのですから、ありとあらゆる専門知識が要求され、知識の豊富な逸材でしか、そのポジションにはふさわしくないと考えのが普通ですが、ここに一つのパラドックスがあるのです。このCEOに要求されているのは、具体的で特別な専門知識ではないそうです。大きな企業なら法律、マーケティング、情報通信、商品開発等の一流の専門家は、もうすでに抱えているでしょう。CEOに要求されることは、専門的な知識よりも、目の前に大きな問題があったとしても、一抹の不安もないというような元気な顔でいられる心の強さと体力の持ち主だそうです。そう、夢を大胆に語れる人物なのです。
「ああ、それなら私も」と思ってはみても、そう簡単ではないことは、すでに皆様もご存知かと思います。私たちは、日々のニュースに翻弄されているかもしれません。私たちの知識が先行してしまい、今の状況を悪いと評価し、頭の中で悲観的な未来を作り上げているのかもしれません。私たちは、様々な負と思える状況のなかで生きているのですから、私たちにも、人生の優れたCEOが必要ではないでしょうか。それは聖書です。私たちが信じている聖書には、一見悪いことと思われるのに、実は祝福であり、神様の豊かな導きであるというパラドックスが、至るところにちりばめられています。
関西単立バプテスト神学校の校報「BAPTIST RAPPA」より:
by:村上校長
第二コリント12:10 「私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」
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